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2007年02月02日

思い出してみる


思い出してみる

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思い出してみる
ども!Naokiです。

今日は久々に徹夜になりそうな予感。いろいろとスケジュールを考えると今日は帰っている場合ではないようです。。

そんな思いがけず長くなりそうな夜なのでちょいと長い記事でも書いてみようかな。そしてコメントにレスを書いていこうかなと思っています。


昨年の12月15日午後17時過ぎ僕の親父が死にました。
その節は、式にきてくれた皆さん、励ましのメール・電報をくれた皆さんありがとうございました。

無事に1月31日に四十九日の法要をすますことができました。
これで親父も仏になったんですね。


思えば、親父とは中学卒業してからの15年間ほとんど顔をあわせたことがありませんでした。たぶん。。4回くらいだったんではないかと思います。

でも、兄弟の中で唯一僕だけが親父と3年間二人で暮らしたことのあったんです。

親父は、多分、とても不器用な人でした。一緒に暮らしていてもほとんど顔をあわせず、たまに会うと「飯を食いにいくか?」と一言話しかけてきました。
いま思うと、親父と飯を食いにいくのは思春期だった当時の僕でもなんだかうれしいことだったような気がします。
ただ、いつも酔うとケンカをだれかれ構わずうってしますうで、いつも僕は相手に謝って許してもらってと大変でしたが。。

そんなある日、「旅行に行こう」と誘われ2人で湯村温泉にでかけました。
反抗期だったのか、写っている全ての写真で僕は笑顔なくおさまってました。
なぜか、意地でも笑顔でうつるもんか!とがんばった記憶があります。

そうしていつしか、出て行った母親への恋しさと、親父の不器用さに素直にはらを立て僕は親父をさけるように家をでていきました。

それから15年、会った回数はわずかでしたがこの前親父の遺品を見てみると旅行先から書いた僕の手紙がでてきました。いろいろと旅の報告を書き、最後にまた手紙を書きますと締めくくっていました。

結局、それから手紙を書いたのかどうかは分からないけど結果的に一緒に旅行にいったのも1回きりで親父は死んでしまいました。

皮肉にも病気が縁で、再び顔をあわせるようになり婚約者も紹介することができました。退院する気だった親父が突然容態が急変してそのまま亡くなったので、本人はまだ死んだことをしらないかもしれません。


病気がわかって、わずか半年とちょっと。

人はいつどうなるかわからないなということを親父に教えてもらったのだとすればそれは意味のあることになるのだろうかと少しは慰めになります。

生きてる間に許しあい、愛し合い、仲良くすごしていくことが親父の死に際して教えてもらったことだと思います。


子供の頃、酔ってはだれかれ構わずケンカを売り、ビール瓶を投げる親父でしたが僕は一度も殴られた記憶も虐待されたこともありません。

そんなに悪い親父じゃなかったな~と今は思って偲んでいます。



思い出してみる

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Posted by Naoki at 00:03│Comments(0)
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